みゆきち闘病日記

これって何の病気なの?解離性健忘、パニック障害、発達障害、てんかん…の診断を下されたり否定されたり。いつも不安と闘ってる。どうしたらフツウに生きられるんだろう。届け、人生に悩む、全ての人々へ。

マジパン再スタート!

学生時代に取り組んだマジパン細工。

 

(9月12日、みゆきち闘病日記の読者の方にいただいたコメントを参考に補足説明させていただきます。

マジパンとはアーモンドがペースト状になった、淡い肌色の粘土のようなものです。一応食品です。

ただし、食べることはほぼありません。色をつけて小物を作ったりして遊んだりコンテスト作品を作ったりもします。

個人的には小物を指先でいじいじするのが好きなのです。) 

 

母の知り合いから、嵐が好きな女の子のお誕生日ケーキをご注文いただきまして

せっかくの機会、逃すわけにはいきません。

 

ご注文者の方にいろいろと提案させていただきまして、ご相談し、お値段は少し張ってしまいましたが…

 

マジパン細工ありでのチョコレートケーキということになりました!

(嵐好きの娘さん、チョコレートが好きなんだそうです。ご相談の際に教えてくださいました。)

 

まずはもとのマジパンを白くするため粉糖を練り込むところから。

 

ご希望のケーキを作れますよう、全力を尽くします。

励ましの言葉を吸収したい。

今年の初夏の頃、父方母方それぞれの祖父母の家へ行った時の話。

 

まずは隣県に住む母方の家へ。

 

祖母が会う度よく口にする言葉。

 

みゆきちゃんの笑顔が一番の薬よ〜(持病があって)

元気な姿が見れて本当に嬉しいわ〜

 

それもう何度も聞いたよ〜。

嬉しい言葉だよね。

 

でも、そういうこと言われる度に私が苦しんでることに全く気づいていないようです。

 

そう言われて私にとって生きがいになるとでも思っているのかな。

だとしたら勘違いも甚だしい…。

元気じゃないよ。頑張って頑張って笑おうとしてるんだよ。

ちゃんと笑ってるように見えてるなら良かった。

 

父方の方の家に行く時

後部座席でぽろぽろと涙をこぼした。

 

そこのお家では泣くのを我慢するつもりだったけど

ダメだった。

 

隣で祖父が(お酒好きなことが悪いとかでは決して違うけど)ビールを飲みだしたから

その時はお酒の匂いが本当にキツくて気持ち悪くて

いろんなものが耐えられなかった。

 

もっと、強くなりたい。そして、しなやかに。

 

退院後に考えてたこと。

私の存在ってなんなのだろう。

学生でもない働いてもない

私は何のために生きてるの。

 

他人といる時だけは忘れられる

襲いかかる不安と恐怖

 

久しぶりに楽器を触りたいと思った時

怖くなった。

入院中に感じていた、もう二度と楽器を持てなくなるかもしれない恐怖を体は忘れていなかった。

手足が上手く動かせなくなった時、ずっとこのままなのかなって考えてた。

 

どうしても怖くて苦しい。

 

けれど、誰にどう話せばいいのだろう。

 

スマホを開いて日付を見る。

少しずつ時間は過ぎていて朝と夜を繰り返す。

大切な人がいても自分の愛し方は分からないよ。

ただただ存在する私を

だれか消してくれないだろうかと考えていた。

 

私は私の大切な人に元気でいてほしいと思う。

なのに、その逆は?

やっと分かった。

今月の精神科診察の日。

 

受付を済ませて診察までの待ち時間に、この1ヶ月のことを書き出し、言いたいことをメモしていった。いつもいざとなると言いたいこと忘れちゃうから。

 

診察時間は、今までで最も長かったと思う。

 

私はずっと「なんで?」「どうして?」って言われるのが嫌だった。

だって、「分からない」から。

 

以前、すごく勇気を出してそれを家族に告白したこともある。

 

…でも、私が間違ってたって、やっと分かった。

 

「なんで?」から「どうしてだろう」って考えるの。

 

たぶん家族が聞いてたのは答えがあるって思ってたからだと思うけど

先生が聞いていたのはたぶん違う。

 

私が分かっていない「なんで?」の答えを

私の中から引き出すための手助けをしようとしてたんだ。

この1ヶ月、いろんなことがあった。

呼吸が止まるとか、どこかへいってしまった記憶が戻らないとか

明らかにこれまでと違っていたから

 

絶対に何かあったんだと

その私の中の「何か」を見つけたいと

 

どうすれば答えが出てくるかを、先生は考えて手助けしてくれたんだ。

 

前回の診察からの1ヶ月、私が何を考えて生きてきたか。

先生が導いてくれた先に答えがあったよ。

 

今年度いっぱいで姉弟とのマンションを解約して私は実家に帰ってくるっていう話がきっかけだったんだ。きっと。

あくまで、可能性の話だけれど。

私のよりどころが1つなくなってしまう不安と恐怖が体にあふれ出てしまっていたのだと。

 

先生、私のこと、一生懸命助けようとしてくれてありがとう。

私が手に持ってたメモ、見てもいい?って読んだだけじゃなくて

これもらってもいい?ってまで言ってくれたね。

いつも、診察にあまり関係のない雑談だって覚えてくれてるよね。

 

お薬変わっちゃうから、次の診察はちょっと早めの2週間後。

よろしくお願いします。

精神科に入院するということ。後編

ついに後編になります。

もしよかったら、前編、中編も読んだ上で見ていただけると嬉しいです。

 

smiyukichi-diary.hatenablog.com

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本当は、あの病院にも良い思い出はある。

こっそり隣人の女の子と一緒に病室でお菓子を食べた夜、修学旅行みたいで楽しかった。

 

あそこにいなかったら出会えなかった人がたくさんいる。

私のことを助けてくれた人がいる。

 

過去に散々なことも書いたけど

看護師の皆さん疲れてるだろうに

私が高熱で風疹の可能性が出来てしまって、彼女達の仕事を増やしてしまったとき、嫌な顔を見せることはなかった。

 

担当の先生はいつも「私」を見てくれなかったけど

「私の病気」には向き合ってくれていた。

 

あの時できた友達も、毎日一緒にご飯を食べながらお話してくれていた方も、声をかけて助けてくれた方も、気が滅入ってしまってないか心配してくれていた看護師さんも…。

 

みんなみんな、ありがとうございました。

本当に、お世話になりました。

 

2019年4月3日、退院の日

 

まだ元気になってはいなかった。

それとは別に、せめて最後くらい、気持ちよく退院したかったな。

 

最後の最後まで、先生は私を見ようとしなかった。

隣の看護師さんが私のことを伝えようとしても、「それはいいから」と耳を傾けなかった。

 

私はこの病院を出て、どんな生活が待っているのだろう。

この時はまだ、この苦しみが序章に過ぎないことを、私は知らなかった。

 

解離性健忘の症状?

以前からあった記憶障害について、変化がでてきました。

smiyukichi-diary.hatenablog.com

 

ここ最近、また記憶が抜け落ちることが多くなってきました。先週だけで3回?4回あったかも…。

 

というのも本人、記憶が抜け落ちたこと自体忘れてしまったり、抜け落ちた記憶が曖昧になっていたりするのです。

 

つい最近のこと。

2019年8月30日、母と弟と3人で祖父のお見舞いに行ったらしい。

祖父のことは嫌いじゃないけど苦手で、あの人の棘のある言葉や心無い無神経さに流した涙はきっと1リットルを優に超えるだろう。

だから今は、本当に心から元気な時じゃないと顔も合わせられない。

 

いや、厳密に言えば顔は合わせられるけれど、その後何かしらの発作が起きる。

記憶が飛んだり。手足が動かせなくなったり。過呼吸になったり。呼吸が止まったり。

そういう姿を見せまいと無理に我慢する悪循環に陥ったりもする。

 

でも私は、そのお見舞いに行った翌日、お見舞いに行ったのがいつの出来事だったのか覚えていなかった。祖父の病室まで行ったことだけは頭に残っていた。

 

たしかにお見舞いに行った日の夕方ごろ、つまり帰宅後、記憶が曖昧になって気持ち悪くなったことはあった。でも、ごはんは食べて、お風呂に入って、いつものように布団に入ったはずだ。

 

なのに

家族が集まった8月31日の少し遅れた弟のお誕生日会

 

就活でなかなか帰ってこれない姉と話していて気づいてしまった。

 

私「いつだったか忘れたけどおじいちゃんのお見舞いに行ってきたよ」

 

記憶が曖昧になっていることに慣れてしまって特に気にしていない私の発言に横から母が言った。

 

「それ、お見舞い行ったの…昨日のことよね」

 

…そんなに最近のことだったんだ〜…なんて

笑えないよ

 

…昨日だっけ笑

とか言ってごまかしたけどごまかせてない。

覚えていないという、まぎれもない事実。

 

今までと違う感覚が確かにある。

記憶が曖昧になった時の出来事も、だいたいのことは人に指摘されれば思い出せてた。

 

なのに、もう、思い出せない?

いろんなことが、私の中でだけ、無かったことになってしまうかもしれない。

精神科病棟入院中の出来事。7

 

smiyukichi-diary.hatenablog.com

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4月に入ったころの外泊から帰ってきた翌日。

下痢や両腕の発疹に加え、朝ごはんも半分残してその日は始まった。

 

ここから1週間ほど、私はこの部屋から一切出られない。食事も排泄もシャワーも、この部屋で。

なんでかって、何かの感染症の疑いがあったから。

 

暑かったり寒かったりの繰り返し。

朝はあんなに寒くて凍えてたのに、解熱剤が効いてくるとだんだん暑くなってくる。

治るまでこれを繰り返すなんて

本当にいつ治るの?

 

その日の午後2時

とある看護師さんが様子を見に来て、少し話相手をしてくれた。

ずっと部屋にこもりっきりだから、気が滅入ったりしないか心配してくれた。

 

 

驚いた。

 

 

夜ごはんが、美味しい。

 

気持ちが元気な時とそうでない時で、味覚って変わるんだな…。

 

これからもう熱が上がらないといい…。

 

どっちにしろ、血液検査結果が出て感染症の疑いが晴れるまではこの部屋を出られないのは変わらない。

 

…だったら

 

どうせなら人生最大にごろごろしてようじゃないの!