みゆきち闘病日記

これって何の病気なの?解離性健忘、パニック障害、発達障害、てんかん…の診断を下されたり否定されたり。いつも不安と闘ってる。どうしたらフツウに生きられるんだろう。届け、人生に悩む、全ての人々へ。

精神科に入院するということ。前編

姉弟の家から実家に一時帰宅していた私は、閉鎖空間の恐怖のため、電車に乗れなくなっていることに気づいた。もとの家に戻るために乗らなければならない特急電車だとなかなか降りれないため、ここで発作が起きたらどうしよう、みたいに考えてしまうということ。

 

それまで通っていたのはもとの家に近い病院。つまりそこに行くには電車に乗らなければならない。

薬がきれてしまうため、それまで通っていた病院にどうしたらいいかと電話で相談し、とりあえず実家に近い精神科病院に行くことになった。

そこで、私は先生に入院するか自分で判断していいと言われ、入院することを選んだ。もしかしたら気持ちも安定してくるかもしれないと、希望を持って。

 

今思えば、その病院はやめておけばよかった。

入院初日から違和感は感じ始めていた。

 

そこでは、2階に比較的症状の軽い人が入院していた。3階以上は閉鎖病棟になっており、逃走や暴力等の可能性が高い人がここに入ることになるそうだ。

 

私のいた2階でも、人によっては部屋に持ち込むものもかなり限られていた。それらは看護師さんにチェックしてもらい、ハサミやカッターなど、少しでも自殺につながる(であろう)ものは基本的にナース室にて管理されることになる。

ひどい人はイヤホンですら禁止されていた。おそらく、首を絞めれるものと判断されているのだ。紐の類は全部ダメなんだろう。

 

ただ、私はその説明を看護師さんに聞いたわけではない。

私の隣の部屋の、たまたま歳の近かった女の子が声をかけてくれて教えてくれた。

 

たぶん、その時だ。違和感を感じ始めたのは。

 

そんな大事なルール、普通入院するときに説明するものじゃないの?

 

薬もナースステーションにて看護師さんの目の前で飲まなければならなかった。1人1人チェックされていた。

ここで不思議だったのは、薬の服用時間を聞かされていなかったことだ。最初3日くらいは廊下の様子を見て、列が出来ていたら並びに行っていた。その後、掲示板に薬服用時間表が貼られているのを発見することになる。

 

これも、自分で掲示板見て気づかなきゃいけなかったことなの?

 

1番衝撃だったのは、とある消灯後のこと。

私は全身が震戦し始め必死の思いでナースコールを押した。

目の前で患者(私)が全身震えているにもかかわらず

「寝る前の薬飲んでるし、もうすぐ効いてくるだろうから大丈夫よ〜。」

の一言で去っていった。

 

(…は?…え?それだけ?このまま放置…?)

一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 

頓服薬も出されていないし、確かに夜勤看護師に出来ることも限られている。

でも、怖いの、分からない?ここは家族だろうと面会時間は厳しく制限され、エレベーター前のドアにカギもかかってるから翌朝まで誰もお見舞いに来ることも無いんだよ?

 

あなたたちは、何のためにここにいるの。

 

震える患者をさすることもできないの?