お味噌をときながら手首を切りたいと思った。
ふとした小さな事で人を傷つけていることがあると思う。
ハンバーグに添えたキャベツ見た母に
「千切り太くなーい?」
て言われて
ああ〜(手首を)切りたい切りたいなぁ〜
なんてね。思ったの。
きっと。絶対。お母さんは私がそんなこと考えてるなんて、気付いてないんだろうなぁ。
何か、嫌なことが起こりそうな予感がする。
何かが積もり積もって溢れ返って取り返しのつかないことになってしまいそうでとてもこわい。
分かってる。
いつか、私が、自分で乗り越えなくちゃいけないってこと。
だけど、今はまだ誰かの手が無ければ歩くことも立つことも出来なくて、そんな自分を認めることも許すことも苦しい。
もっと、がんばってる自分のこと、褒めてあげてもいいんじゃない?
だってあなたがいて救われている人がいるじゃない。少し悪口を言いながらも「好き」と言ってくれる人がいるじゃない。
少しくらい、それを信じてみてもいいんじゃない?
何かにすがりつきたくて、たまらないのです。
退院してから、記憶がなくなることに「慣れ」が出てきたように思う。
慣れるってことは認めるってことだよね。
それが良いことか悪いことかは分からないけれど。
そして、その「慣れ」に安心している私がいる。
けれど、それが正解でないと反発する私もいて
どちらが正しいのか誰かに教えてもらえればどんなに楽かと。
私から逃げたい気持ちが、私を受け止めようとする気持ちを引き止めようとしているから
本心がどこにいるのか分からなくなる。
誰かに、何かにすがりつきたいこの気持ちは
誰が、何が、受け止めてくれるというの。
何かにすがりつきたくて、たまらないのです。
今年もよろしくお願いします。
2019年12月末、私は人前では流さない涙を少しだけ流していた。1人なら流れる涙。
けれど、そんな時こそ誰かにそばにいてほしいと思うものだ。きっと。
なのに、「助けて」も言えないのは、どうしてなのだろう。
少しだけで済んだのは、何のおかげ?誰のおかげ?
一体何のために流れたの。
新年に近づくにつれて私の様子がおかしくなっていることを、母は見逃さなかった。
「最近、何を考えてる?なんか調子悪いよね?」
ごめん、また自分で言えなくて。
本当はここ1週間くらいずっと吐き気とかめまいとかしてたし離人症の症状も大きくなってきてた。
私も最初は、なんでだろう。生理前なのかな。ってずっと考えてた。
最近気づいたの。
お正月に、おじいちゃんに会うのが怖いの。
あの人に会いたくないわけじゃないのに怖い。
またかさぶたを剥がしてしまいそうで。
仕方ない。言うしかない。
…言った。
「たぶん1月1日が来るのが憂鬱なんだと思う。あの、おじいちゃんに会うから。」
よく言った、私。
さあ、あけましておめでとう、私。
「1人でお留守番してていいよ、適当に理由つけとくから大丈夫よ。」と言う母の言葉は、ありがたくいただくだけいただいて
昼から用事あるって言ってご仏壇に手を合わせにだけは行く、と宣言した。
実行した。
なんならおじいちゃんと(おばあちゃんも一緒に)お茶までしました!
ただ、嘘、つきたくなかった。
おじいちゃんたちのこと傷つけたくないけど
ちゃんと本当の理由を話したかったよ、お母さん。
「ちょっと友達と用事あるから」って言い訳を今まで何度使った?
これから先、何度使ってゆくことになる?
「ごめんね」って言えば、相手を傷つけないための嘘が許されるのかと苦しくなった。
でも、やっぱり新年早々よくやったよ、私。
1つの区切りが終わろうとしてる。
私は今年もいっぱい泣くし、いっぱい苦しむ。
だけどやめない。いっぱい泣くこともいっぱい苦しむことも。
元気になって夢叶えることまだまだ諦めないから。
離人症が少し。
なんだか知らない場所に浮いているような気がする。
そわそわして落ち着かない。
あと4日でまた次の診察の日がくる。
先生が細かく経過観察しようとしてくれているのが有り難い。
そして、それはきっと医者としてとても正しいのだと思う。
けれど、細かくみてもらったところで薬も変わらず問診だけ。体調も大きく良くなるわけじゃないの。(むしろ診察前は緊張で脚を引きずる)
だからせめて
自分の違和感を不安を恐怖を口に出して
聞いてもらうことが大切なんだ。
もうすぐクリスマス。
ケーキ屋さんじゃなくてわざわざ私に注文してくれる人がいる。
なんて嬉しい。ありがたい。
せめてその優しい気持ちには精一杯応えるんだ。
確認して、生きて。
今までの
なんか嫌な予感がする
からの、記憶が後に失われるほどのなにかが起きる
とはちょっと違ってて
2019年12月20日、私はずっとそわそわしてた。
いつもと違う感覚に少しの恐怖心が
それを加速させていたようにも思える。
そしてそれはその日22時ごろ形になってあらわれた。
目元が痙攣している。
左目はほぼ開くことができないほどに無意識の力が入っている。
何気ない日々に、過呼吸も呼吸がうまくできないことも顔面痙攣も手足の硬直も記憶喪失も、いろんなことが慣れてきているけれど
これって、「当たり前」じゃないんだよね?
私の担当M先生が
(空きベッドが無くてすぐにはできないけど)
入院を早くできないかと考慮してくださるのも
私の持つ致死念慮の危険性の大きさを知っているからなんだよね?
次の診察をいつもは2週間以上間をあけるのに1週間後にしたのも、こまめに経過を確認しようとしてくれたんだよね。
1つ1つ頭の中で考えて
生きていきます。