みゆきち闘病日記

これって何の病気なの?解離性健忘、パニック障害、発達障害、てんかん…の診断を下されたり否定されたり。いつも不安と闘ってる。どうしたらフツウに生きられるんだろう。届け、人生に悩む、全ての人々へ。

いってきます。

今日からまた、入院します。

2020年1月現在通院中の医大の精神神経科病棟。

閉鎖病棟への入院は初めて。

どんな日々が待っているんだろう。

私はそこでどんなふうに生きるのだろう。

また毎日日記を書こう。

 

「あれ」からほぼ2年が経つ。

3年目の闘病生活。

今日からまたよろしくね、新しい私。

 

今年もよろしくお願いします。

2019年12月末、私は人前では流さない涙を少しだけ流していた。1人なら流れる涙。

けれど、そんな時こそ誰かにそばにいてほしいと思うものだ。きっと。

なのに、「助けて」も言えないのは、どうしてなのだろう。

少しだけで済んだのは、何のおかげ?誰のおかげ?

一体何のために流れたの。

 

新年に近づくにつれて私の様子がおかしくなっていることを、母は見逃さなかった。

 

「最近、何を考えてる?なんか調子悪いよね?」

ごめん、また自分で言えなくて。

本当はここ1週間くらいずっと吐き気とかめまいとかしてたし離人症の症状も大きくなってきてた。

 

私も最初は、なんでだろう。生理前なのかな。ってずっと考えてた。

最近気づいたの。

 

お正月に、おじいちゃんに会うのが怖いの。

あの人に会いたくないわけじゃないのに怖い。

またかさぶたを剥がしてしまいそうで。

 

仕方ない。言うしかない。

 

…言った。

 

「たぶん1月1日が来るのが憂鬱なんだと思う。あの、おじいちゃんに会うから。」

 

よく言った、私。

 

 

さあ、あけましておめでとう、私。

 

「1人でお留守番してていいよ、適当に理由つけとくから大丈夫よ。」と言う母の言葉は、ありがたくいただくだけいただいて

昼から用事あるって言ってご仏壇に手を合わせにだけは行く、と宣言した。

実行した。

なんならおじいちゃんと(おばあちゃんも一緒に)お茶までしました!

 

ただ、嘘、つきたくなかった。

おじいちゃんたちのこと傷つけたくないけど

ちゃんと本当の理由を話したかったよ、お母さん。

 

「ちょっと友達と用事あるから」って言い訳を今まで何度使った?

これから先、何度使ってゆくことになる?

「ごめんね」って言えば、相手を傷つけないための嘘が許されるのかと苦しくなった。

 

でも、やっぱり新年早々よくやったよ、私。

 

1つの区切りが終わろうとしてる。

 

私は今年もいっぱい泣くし、いっぱい苦しむ。

だけどやめない。いっぱい泣くこともいっぱい苦しむことも。

元気になって夢叶えることまだまだ諦めないから。

離人症が少し。

なんだか知らない場所に浮いているような気がする。

そわそわして落ち着かない。

 

あと4日でまた次の診察の日がくる。

先生が細かく経過観察しようとしてくれているのが有り難い。

そして、それはきっと医者としてとても正しいのだと思う。

 

けれど、細かくみてもらったところで薬も変わらず問診だけ。体調も大きく良くなるわけじゃないの。(むしろ診察前は緊張で脚を引きずる)

 

だからせめて

自分の違和感を不安を恐怖を口に出して

聞いてもらうことが大切なんだ。

 

もうすぐクリスマス。

ケーキ屋さんじゃなくてわざわざ私に注文してくれる人がいる。

なんて嬉しい。ありがたい。

せめてその優しい気持ちには精一杯応えるんだ。

確認して、生きて。

今までの

なんか嫌な予感がする
からの、記憶が後に失われるほどのなにかが起きる


とはちょっと違ってて
2019年12月20日、私はずっとそわそわしてた。


いつもと違う感覚に少しの恐怖心が
それを加速させていたようにも思える。


そしてそれはその日22時ごろ形になってあらわれた。
目元が痙攣している。
左目はほぼ開くことができないほどに無意識の力が入っている。


何気ない日々に、過呼吸も呼吸がうまくできないことも顔面痙攣も手足の硬直も記憶喪失も、いろんなことが慣れてきているけれど


これって、「当たり前」じゃないんだよね?


私の担当M先生が
(空きベッドが無くてすぐにはできないけど)
入院を早くできないかと考慮してくださるのも


私の持つ致死念慮の危険性の大きさを知っているからなんだよね?

 

次の診察をいつもは2週間以上間をあけるのに1週間後にしたのも、こまめに経過を確認しようとしてくれたんだよね。

 

1つ1つ頭の中で考えて

生きていきます。

何してるの?

普通の生活をするので精一杯。

少しの心の乱れが頭の中まで狂わせる。


前に漫画を描いていた時に買っていた画材用品をあさり、一本のカッターを手にする。


そういえば、診察の時に先生が
次の診察の時まで絶対にそういうこと(自傷行為)しないって約束してね
って言ってたっけ。


なぜか
家族に言われるより
友達に言われるより
ずっとずっと心に響いた


でも、少しだけ。少しだけ、試しに。


(スーパーの試食かよ…。)


スーパーの試食で例えるなら確実に買う流れではないか。


…なんだ。意外と切れにくいんだな。
なんて。
軽く手のひらにポンポンとカッターを落とす。


血の出ないぎりぎりのところでとめる。


…そう。ちょっと試食しただけだよ。
買わないから。

 


…ごはんが食べられるようになったとおもったら
今度はお布団に入れない。


母が和室に敷いてくれているのだけれど
なんだか申し訳ないような苦しみを感じながら中に入り、とりあえず座ってみる。


様子を見かけた父


「何してんの?」


私「…何も?」

 


私も、何してんのか、分かんないや。

先生、教えてください。

どうして自傷行為はしてはいけないのだろう。

先生に聞いたら、教えてくれるかな。

 

ただただ、わたしが安心するための行為よ。

死ぬリスクを越えてしまった苦しみを紛らわせるだけ。

だって、車に突っ込んだら、車で轢かせてしまった人に悪いじゃない?

だから自分のことは自分で片付けるの。

 

そんなことをしても誰も喜ばないとか、悲しませるとか、そんな定型台詞が心に響くと、素直に聞き入れられると思って言ってる?

笑かしてくれる。

そうだよね。なんてなるならそんなことしない。

 

患者のために、自らの追い詰められた死に向き合いながらも短い期間に必死に書き綴られた、優しさにあふれたカルテを、ひとは神様のカルテと呼ぶらしい。

 

私のカルテには、一体何が書かれているのだろう。

私を許さないのは私じゃない。

何かから飛び出したくて逃げ出したくてたまらない。

少しでも否定されるようなことを言われると

何もかもが自分を否定されていると私の中のもう1人の私が私に言う。

 

全ての物事出来事は彼女を通して私に響く。

 

紛らわしいので、私の中の彼女をAちゃんと呼ぶことにする。

Aちゃんは私に、危ないよ、なんか怖いよって言ってくるから

私はAちゃんに大丈夫よ、って言い聞かせるの。

 

なのに体はAちゃんに正直なんだ。

 

だれも悪くない。

何も起きてない。

なのに気持ち悪い。

 

Aちゃんが私を否定してくる。おまえはいらないよ、と。

でも、それでいてAちゃんにとって、私の医大精神科での担当M先生の言う事は絶対なのだ。

M先生が自傷行為はしないでねと言っていたから、Aちゃんも絶対にそういうことはするなと言ってくる。

いらないよ。でもそういうことしちゃダメよ。

なんて残酷。

 

それがとても居心地悪くてたくさん涙を流した。

目が腫れるだろうなと思いながら、体をさする両親に挟まられ

両親のために元気でいなくちゃ、でも私がいなくなったら、生きてなかったら今心配もかけずに済んだんだよとAちゃんは言う。

 

どうしようもない板挟みか?

 

両親が一旦引いた瞬間1人になって、タオルで口を押さえて

声をあげるように大きく泣いた。

気持ちを涙と一緒に吐き出したかったんだ。と思う。

 

気がついたら脚のスネのブツブツのかさぶたを引っ掻いてしまって、引っ掻いた先を見ると血がぷっくりと出ている。

 

少し流れる血を見たら

急に

すーーーーっと心が軽くなった。

 

今まで泣いていたのが嘘みたいに楽になった。

 

まるで、Aちゃんが「もう、いいよ。」って言ってくれたみたいだった。