今年もよろしくお願いします。
2019年12月末、私は人前では流さない涙を少しだけ流していた。1人なら流れる涙。
けれど、そんな時こそ誰かにそばにいてほしいと思うものだ。きっと。
なのに、「助けて」も言えないのは、どうしてなのだろう。
少しだけで済んだのは、何のおかげ?誰のおかげ?
一体何のために流れたの。
新年に近づくにつれて私の様子がおかしくなっていることを、母は見逃さなかった。
「最近、何を考えてる?なんか調子悪いよね?」
ごめん、また自分で言えなくて。
本当はここ1週間くらいずっと吐き気とかめまいとかしてたし離人症の症状も大きくなってきてた。
私も最初は、なんでだろう。生理前なのかな。ってずっと考えてた。
最近気づいたの。
お正月に、おじいちゃんに会うのが怖いの。
あの人に会いたくないわけじゃないのに怖い。
またかさぶたを剥がしてしまいそうで。
仕方ない。言うしかない。
…言った。
「たぶん1月1日が来るのが憂鬱なんだと思う。あの、おじいちゃんに会うから。」
よく言った、私。
さあ、あけましておめでとう、私。
「1人でお留守番してていいよ、適当に理由つけとくから大丈夫よ。」と言う母の言葉は、ありがたくいただくだけいただいて
昼から用事あるって言ってご仏壇に手を合わせにだけは行く、と宣言した。
実行した。
なんならおじいちゃんと(おばあちゃんも一緒に)お茶までしました!
ただ、嘘、つきたくなかった。
おじいちゃんたちのこと傷つけたくないけど
ちゃんと本当の理由を話したかったよ、お母さん。
「ちょっと友達と用事あるから」って言い訳を今まで何度使った?
これから先、何度使ってゆくことになる?
「ごめんね」って言えば、相手を傷つけないための嘘が許されるのかと苦しくなった。
でも、やっぱり新年早々よくやったよ、私。
1つの区切りが終わろうとしてる。
私は今年もいっぱい泣くし、いっぱい苦しむ。
だけどやめない。いっぱい泣くこともいっぱい苦しむことも。
元気になって夢叶えることまだまだ諦めないから。