みゆきち闘病日記

これって何の病気なの?解離性健忘、パニック障害、発達障害、てんかん…の診断を下されたり否定されたり。いつも不安と闘ってる。どうしたらフツウに生きられるんだろう。届け、人生に悩む、全ての人々へ。

たまには褒めてみない?

たくさん泣いたあの日から約1ヶ月

2019年7月中旬

ある日の夜寝る前、私はまた全身が振戦していた。

 

父と母が私の体をさすりながら

病院に連れて行くか、お薬を飲ませるか、いろいろと話していたけれど

その時は頓服薬も出されておらず

ただただ震えが止まるのを待つしかなかった。

 

悔しくて、悲しくて

涙が出てきたら呼吸が荒くなった。

ゆっくりはいてーゆっくりはいてーって

母の声を聞き続けていたら落ち着いて眠ってしまっていた。

 

目が覚めて、思い出したら死にたくなった。

死にたいという気持ちを自覚したら

また涙が出てきて驚いた。自分のことなのにね。

 

その日は何度もぐら〜っと気持ち悪くなって

ほとんど横になってた。

なんだか、すごくだらけてる人に見える。

自分がそう感じてるだけかもしれないけれど…。

 

横になりながら、生きる意味を考える。

 

さっきまで笑えてたのに

急に心細くなって苦しくなったりして

涙が溢れて困る。

 

世の中みんな、こんな風に苦しみながら生きてるの?

生きてるってすごいなぁ。

でも生きるって苦しいよ。

 

だったら苦しいことから逃げたくなる時だってあるし

逃げてみたっていいじゃない。

 

「新しいスマホが欲しい」とか

そんな気持ちだって、これからも生きていきたいと思ってるってことでしょ?

 

私はたぶん自分を認めてあげられていない。

どうしても自分がいらなくて醜いものだと思ってしまう。

部屋の掃除とか、お菓子作りとか

自分ができることをできる時にしてみても

「だから何?」

と考えてしまうくらいに私を評価できない。

再試ができるテストでもない

数値で成績も出ない

 

突然、社会からはじき出された者は

自ら生きる価値を見出せるか?

今できることをやればいいのです。

2019年6月

「人生で最も泣いた日」から約1週間

 

まだまだ心が泣き続けて苦しんでいるみたい。

現実を受け入れられないまま時間が過ぎていくのが怖い。

 

退職した日から、もう1年以上経つのに

日を追うごとに悪化しているような気さえする。

 

でも、何も分かっていないからこそ

難しく考えずに前進していけることもある。

 

抱えられないほどに引っ掛かっているいろんな重荷がもしも取れた時

私は何をしたい?

 

↓「人生で最も泣いた日」前編と後編

 

https://smiyukichi-diary.hatenablog.com/entry/2019/09/16/162857

 

https://smiyukichi-diary.hatenablog.com/entry/2019/09/16/164900

 

「あの日」から約2週間後

 

2019年6月末

そういえば、私やりたいことある。

 

自前のユーフォニアムを背中に抱えて

地元の市民吹奏楽団の見学へ。

 

入団については体調面も考慮した結果

見送ることにしたけれど

依頼演奏会で人手が足りない時には声をかけてもらえることになった。 

 

人との繋がりが、1つ増えた。

 

その日は気づかなかったけれど

私は自分で想像していたよりもずっと神経を研ぎ澄ませていたのか緊張していたのか

翌朝起きるのがいつもより2時間位遅くなって

昼間もずっと眠かった。

 

体は疲れていたみたいだけど

行って良かったと心から思う。

 

無意識に、自然に必死になって

しがみついていけていたということだもの。

 

私にもまだできることがあるって自信を少しだけ取り戻せたことが

心地よかったのかもしれない。

 

私は今は一度立ち止まるべき時だから。

 

立ち止まって見える360度の景色を見ることが出来るんだ。

 

 

人生で最も泣いた日(後編)

ぜひ前編を読んでから、こちらを読んでいただけると嬉しいです。↓前編はここから読めます。

https://smiyukichi-diary.hatenablog.com/entry/2019/09/16/162857

 

母はその日の診察の後、がんばったね、と言ってくれた。

あの言葉は、どういう意味だったのだろう。

あの時、あの瞬間はそんなことすら考える余裕はなかった。

 

先生に言われなくても思い当たるフシはたくさんあったけれど

いろいろと説明された時は

複雑な気持ちでとにかく頭も心も

何がどこにあるのか分からない汚部屋状態。

 

でも、母が言った頑張ってたんだねは

私の疑問を少しだけかき消してくれた気がした。

 

人の何倍も頑張って

栄養士免許も

フードスペシャリスト免許も

運転免許も

パティシエも

偏差値高めの高校の授業だって

 

頑張って頑張って乗り越えてきたんだよって

 

何年も前からずっとつっかかっていたものが

解けていく感じがして

 

母にも父にも見えないように、気付かれないように

たくさん涙を流した。

 

それまででも一生分泣いたんじゃないかってくらい泣いてたけど

まだまだ涙の在庫は尽きないみたい。

 

どんどん、どんどん溢れてくる。

 

私が私を慰めるために流しているんだから

必要な涙だから

思いっきり泣いていいんだよ。

人生で最も泣いた日(前編)

一通り今月のケーキのご注文を乗り越えたので

過去のお話を綴ります。

長くなってしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。

 

2019年6月のこと。(今日が2019年9月16日だから、だいたい3ヶ月前)

 

ある日の夕食時から、また体が動かしにくくなってきて

ご飯を半分残してしまった。

体がうまく動かせるかと食欲の有無は比例しているようです。

 

右手より左手の方がもっと感覚がおかしいという自覚がある。

でも、きちんと動いてくれない自分の体に向かって

がんばれがんばれって思っても

ただ見える景色が滲むだけ。

景色をクリアにしようとまばたきをすると

ぎゅっとつむった目から左手に水滴が落ちていく。

 

翌日には、私の右手はほぼ元に戻っていた。

左手の感覚はまだ鈍かったけれど

「普通」に見えるくらいに動かせていた。

 

不安が残ったまま、その数日後のこと。

医大で親も私自身もそれぞれで受けたカウンセリングを総合し

私の現在の体調も交えて結果が出たので、M先生から説明していただいた。

 

その日はたくさん泣いた。

母も陰で泣いていたかもしれない。ごめんね。

 

M先生「ASDの特性はあるけど、病気じゃないよ」

 

話によると、どうやら私は誤解されやすいらしい。

仕事で例えてみると

指示を理解できているのにどうして実行出来ないの?→やる気がないの?真面目にやってないの?

ということに繋がるから

私が社会復帰するためには「私」を理解してくれる上司、環境が必要だそうだ。

 

…そんな有り難すぎる職場、どこにあるの?

 

というのは置いといて

短大生の頃に半年に一度くらいの頻度で記憶が抜け落ちていたのも

一人暮らしの生活に加えて勉強等のストレスからのものらしい。

 

→後編に続く

 

 

マジパン細工ケーキ完成!

2019年9月14日

ご注文いただいたマジパンケーキ作成最終日

 

マジパン細工の過去記事はこちらです。

↓の続きになります。

 

smiyukichi-diary.hatenablog.com

smiyukichi-diary.hatenablog.com

 

 

前日夜2時半ごろに中断したマジパン細工を朝7時には起きて再開。

 

もっと時間にも体力にも余裕があったら

凝ったデザインをいろいろ考えたりして、もっともっと工夫できたかな。

 

ざっと書き出したラフはこちら。

(2人分しか描かれていませんが、ちゃんとメンバー5人分考えてあります。)

f:id:smiyukichi:20190915084149j:image

考えてる内に、もう作ってみよ!ということで作り始めてしまいました。

 

周りのカラフルなフルーツとのバランスは良くなったから、結果オーライ。ということで。

 

精一杯の力は直径18cm内にこめられた。

 

母がお世話になっているご注文者の方にも、娘さんにも、喜んでもらえているといいな。

あと、その娘さんのお兄さんへのお礼の気持ちも込めました。伝わらないかもしれないけれど、感謝しています。

(そのお兄さんは実家近くで救急隊員をされており、一度私が救急搬送された際にお世話になったことがあるのです。)

 

ここで、ご注文内容を確認。

①国民的アイドル嵐のマジパン付きのチョコレートケーキ

②かわいいイメージ

③プレートの名前はえりかちゃん

(④ロウソクはケーキと別で箱につける)

 

私が作った完成品はこちらになります↓

f:id:smiyukichi:20190914184344j:image

どうでしょうか。

f:id:smiyukichi:20190914184457j:image

マジパン部分を見てみて、お分かりいただけますでしょうか?

嵐のメンバーそれぞれに見えるよう、なるべく各々の特徴を捉えて作ってみたつもり。です。

 

釣り好きな大野さんは少し肌が色黒っぽいので濃いめに。

人懐っこさのある相葉さんはピースさせてみて。

おしゃれでかっこいい松本さんはウインクして。

二宮さんはよく伸びる歌声を手で表して。

櫻井さんはラップを歌っている姿をイメージして。

 

これ、マジパン細工中の私の頭の中のほんの一部です。

もっともっといろんなことを考えてお作りしておりましたよ。

 

今回のケーキ作りにあたって

体調が崩れることはありませんでした。

 

少し、戻ってきたかな。

進化してきたかな?

パティシエの腕も。

体調も。

 

…でもやっぱり、まだまだ変わりたい。

精進していけるよう、頑張りますので

ぜひまたの機会をお待ちしております。

 

パニック障害特集

2019年5月、ある日の夜

パニック障害がテレビ番組で特集されていた。

 

私の隣で母もそれを見ていた。

 

その時の番組内容はこんな感じ↓

この障害は誰もがなる可能性があるもの

危険を察知する能力が人よりも高いこと

同じような苦しみを分かち合うには

周囲の理解について

日常のふとした瞬間の恐怖心

どんな時に発作が出やすいのか

…etc

 

その番組で、パニック障害の人が実際に過呼吸になっている生の映像を見た。

私が呼吸が苦しくなっている時も、振戦している時も、周りにはあんな風に見えていたのかな。

 

自分が周りにどう見られてるかなんて、それまで考えたこと無かった。

だって、そんな余裕が無いから。とにかく自分が苦しいことで頭がいっぱいで、周りが見えていなかったんだ。

 

番組のその特集の間、コマーシャルに入っても

一度も母の顔を見れなかった。

母は、どんな気持ちで見ていたのだろう。

あの特集も。私のことも。

 

少しバランスを崩して変わってしまった私の体は、完全に元通りにはならない。もう、過去には戻れない。

なれたとして、それは新しい私。

 

失ったものをもう一度手繰り寄せる為に

あとどれだけ遠回りすればいい?どれだけの代償を払えばいい?

 

でも、遠回りした道にも、きっと母は先回りして私を待ってくれているのだろう。

マジパン再スタート2日目

2019年9月12日

ジャニーズの嵐を模したマジパンをバースデーケーキに飾ろうという計画で、マジパン細工2日目。

 

昨日はとりあえず粉糖の練りこみと着色までで終わってしまいましたので。

 

本日、まずは顔から。

指先で0.1mm単位くらいで調節していく。

 

分かってたけど、納得がいくようになるまで作るのには時間もかかる。すごく難しい。

指先の感覚も鈍ってる。悔しい。

 

悔しくてたまらない。

 

 

でも。

それでも。

 

やっぱり、それ以上に楽しい!

 

学生の頃のコンクールの時の、自分の設定したテーマに沿って作っていたマジパン細工と違って

今回はモデルがいるのだけれど

1人1人違う肌色に髪色、髪型、表情

素顔、性格、好きなものは?、得意なことは?、癖は?、、、

いろんな想像が膨らんでいく。

 

それを指先から伝えて形にする。

今の私が、できること。

 

丁度ひと段落したころ、3日前にバースデーケーキを購入してくださった方がお礼を言いに家まで来てくださった。

 

その方のご注文は6寸(直径18cm)のフルーツがたくさんのったホールケーキだったのだが

「4人で1回でぺろっと食べちゃった♡1人4分の1ずつよ〜!」

…すごい!あの大きさのホールケーキを…!

 

でも、私が本当に感動したのは、その後から。

「動物の、乗せてくれてたでしょ?あそこ、みんなで取り合いになっちゃってね〜!」

 

あ、そこは。

私が注文を受けた時に伺った「かわいいケーキ」にする為に考えたところだ。丸いころころクッキーをチョコでコーティングして、それに顔をかいて、クマさんにしたの。

 

「あっ、あと甘過ぎなくてさっぱりしてて食べやすかったの!」

 

あ、そこは。

私が使っている生クリームに対して砂糖がどのくらいの量が一番食べやすいか何度か試してきたところだ…。

 

その時のケーキが、こちら↓

f:id:smiyukichi:20190912234204j:image

スポンジもクリームも手動で立てて、飾りの動物も時間もかかったけど

でも、頑張って良かった。

わざわざお礼まで伝えに来てくれて。

感謝の気持ち、すごく伝わってきた。

 

私、一度でも、パティシエになれて、本当に良かった。

そう思わせてくれて、ありがとう。