いじめられてたこと、苦手なこと≠嫌いなこと
まだ記憶障害もパニック障害も、何の症状も出ていなかったころの話。
中学時代は学級委員したりもしてたけど、いじめられていた時期があるのであまり思い出したくない。けれど、体育から戻ったら制服にチョークで落書きされてた時の気持ちは今でも忘れられない。直接的な暴力こそ受けなかったが、人は誰かにされたことよりも、その時どきの気持ちは記憶してしまう。傷つけられたという記憶だけは、決して薄れることはない。
高校は、地元では名前が知られてるくらいのそこそこ進学校だった。人間関係は比較的平和だったと思う。大学進学当たり前だし、みんな頭良いし。
勉強は苦手だったしテストも赤点だらけだったけど、「勉強すること」は嫌いじゃなかった。机に向かって文字を書いたりノートをまとめるのが好きだった。先生の目を見て話を聞く、というのもなぜか好きだった。
ただ、それだけで成績は伸びない。通知簿に赤い色で書かれた点数が物語っていた。
朝2時、3時まで考えても答えの出ない、予習復習という名の勉強を1人で繰り返して、仮眠をとった後1限より前の朝課外のために朝7時ぐらいには家を出て、部活もそこそこ気合い入れてた。土日も朝から夕方まで授業と部活の繰り返し。プラス塾。
高2の時、とても説明が分かりやすく評判の良い世界史の先生と、世界史女王と呼ばれていた生徒の2人につきっきりで試験対策してもらった結果、とった点数は20点台だった。
(あぁ、やっぱり、ダメだったじゃん。)
優秀な姉弟に比べて劣っていることが明らかな数値に出るたび心を痛めた。
それでも、苦手なことが嫌いだとは限らないのなら、少し人より劣っていてもそれを努力してみるくらい良いじゃないか。
頑張りたいって思ってる自分の為に頑張ってみればいい。本当にダメだったらその時になってから諦めればいい。そのくらいの覚悟を持って。
それに、学校が楽しくなかったわけじゃない。
高校に入って2週間程経ったころ、クラスメイトの女の子に「おはようっ」と言われた。朝、廊下で通りすがりのただの挨拶。でも当時の私にとってはものすっごく大事な思い出。
彼女は、初めて、私に「おはよう」と言ってくれた人。彼女は基本コミュニケーション力が優れていて無意識レベルで挨拶してくれたのだろう。
一方、私は泣きそうになっていた。たった一言、「おはよう」で。
それだけで、この学校に来て良かったって思っちゃったよ。
のちに病院の先生から、私が勉強できないのは仕方ないことだと告げられることになるわけだけど、良かった。私に出来ること、ちゃんと頑張れてたんだって、少しくらい胸を張って生きる理由にしても良いよね。