安心して過ごせる居場所を欲しがるのは贅沢か?
姉弟と3人暮らしを始めて1年と3ヶ月以上が経つ。
世帯主は次女の私。
それを聞いた人の反応は主に2パターンに分かれる。
「仲良いんだね〜。」
「珍しいね〜。でもなんで(世帯主が)長女のお姉ちゃんの方じゃないの?」
後者の答えは、姉も弟もまだ学生であり、かつ、家の契約当初は私がまだ働いていたから。それから1ヶ月足らずで退職することになるなんて、その時はこれっぽっちも思ってもいなかったから。
体調が戻るまでは、精神科に通院しながら家事や好きなことをして復職を目指す。
この根本は退職当時からずっと変わらない。
ただ、いつも同じでないのは、生活する場所。
私は、姉弟がいる私の本来の家と、親がいる実家の二刀流生活。主に実家に暮らし、たまにもう片方の家に郵便物のチェックや家中の掃除をしに行く。
本来の家というのは、住民票を置いている家という意味。例えば、選挙の投票や所得証明等はそっちで行かなきゃいけなくなる。
先日、珍しく父が子供3人の生活について話をしてきた。
今年度いっぱいで姉弟との3人のマンションを解約して、弟は学校の近くに、姉は職場の近くに1人暮らしをさせようと言った。
言いたいことは分かる。
私は今現在ほぼ実家にお世話になっているし、弟は今の家の方が実家から通うよりはまだマシなくらいで、姉は来年度から新社会人として働き出す。既に県内に内定もいくつかとっているようだ(詳しくは知らない)。だから、私がそこにいないならその家を継続していく理由が無い。
でも、「そうだね。」なんて言葉は出てこない。
「精神的に弱いあなたは、何かあっても大丈夫なように親の目の届く範囲にいてね」と言われた気がした。
被害妄想だと言われればそれまでだ。
心にしこりが出来た気がした。
それにすぐに気付いてしまうくらいの大きさの。
純粋な優しさに恵まれていながら、それを素直に受け取れない。
以前、心配性な母の話を綴ったけれど、心配性な母が嫌いなんじゃない。
それを嫌がっている自分が嫌いだ。
飢えていながら好き嫌いをしているみたい。この場合は食べ物ではなく、人のあたたかさに。
安心して過ごせる居場所を欲しがるのは贅沢か?
誰に問いかけるでもなく、きっとあの時心にできたと思われる、しこりの正体だ。