みゆきち闘病日記

これって何の病気なの?解離性健忘、パニック障害、発達障害、てんかん…の診断を下されたり否定されたり。いつも不安と闘ってる。どうしたらフツウに生きられるんだろう。届け、人生に悩む、全ての人々へ。

友達のこと。

 

高校の時からの私の友達、今は地元より少し遠くで働いている新社会人のRちゃん。仲良くなったのは高校からだけど、実は中学も一緒。

 

先日久しぶりに地元で会って、長居しても怒られないお店でお茶をしつつ女子トーク炸裂。話は尽きず、気付いたら22時をまわり…お外真っ暗。(19時スタートでした)

 

就職後早々に退職することになってしまった私からしたら、Rちゃんは大卒で、社会できちんと働いていて、かつ良き出会いがあるなんて、なんと羨ましい人生だと思う。

 

けど、でも、彼女は彼女なりに、家族とか仕事とか沢山のことを考え、悩み、生きているのを私は知っている。だからこそ、そんな気持ちを分かり合いたいと思うし、支え合いたい。小さな事でも相談してもらいたいし、私も話を聞いてもらいたくなる。家族とは違う、特別な存在。

私の体のことも、精神科に通う前から聞いてくれていた。私の事情もほとんど知っている。彼女にとってはどうでもいいはずの話だって、頷きながら聞いてくれる。

心に問題を抱えている人にとって、「理解してくれる人」の存在の大きさは計り知れない。

 

私は、そんな人と出会えて、7年以上経った今でも親しくいられるのは、奇跡じゃないと思ってる。

 

私も、彼女も、同じクラスになった時から、お互いがお互いにそばにいるべき存在だということを見逃さなかった。

良心で接し合って、そういう関係を私達が育んできた。

そういうことだと思う。

 

学生時代親しくしていたのに、連絡が取れなくなった友達もいる。

SNSが当たり前になって、世界中どこにでも繋がっている時代というけれど

私は、友達にも家族にも、スマホがなくなってしまえば連絡が取れなくなってしまうかもしれないような危うい時代でもあると思ってる。(例えば、お父さんだって、お母さんの携帯番号すら覚えていなかった。)

どんなに形が目に見えなくても、跡が残らなくても、それが誰かの生きていくための術であるかもしれないし、生きていた証になるかもしれない。

 

私がRちゃんにとってどの程度の存在か、なんて考えても分からないけど、私も彼女にとって必要な存在になっていますように。

また会う時、Rちゃんが、笑っていますように。

いつか私が元気になった時、また彼女がそばにいますように。