みゆきち闘病日記

これって何の病気なの?解離性健忘、パニック障害、発達障害、てんかん…の診断を下されたり否定されたり。いつも不安と闘ってる。どうしたらフツウに生きられるんだろう。届け、人生に悩む、全ての人々へ。

退職前の話。

製菓専門学校の1年間について。

この時は毎日がめまぐるしくてほとんど日記は残ってない。

 

4月    顔を合わせたばかりのメンバーで上っ面で仲良くしていた。

 

5月   私だけが苦しんでいると感じているのがつらかった。この時「分かる」と言ってくれる人がいたらどんなに救われていただろう。今思っても仕方がないけれど、分かり合える人ができた時はとてもほっとしたの。

 

6月  マジパン細工の練習と作品作りスタート。

https://smiyukichi-diary.hatenablog.com/entry/2019/07/27/150548

 

7月   はじめての本当の実技試験に合格。この時の試験課題は桃のケーキ(写真参照)

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夏休みに入って、後期が始まって学園祭もあって

日を追うごとに自分も周りも必死になっていくのが分かった。

 

発送と欲が膨らむ楽しさ

1つの目標につき進む真っ直ぐさ

それらがとても心地よかったんだ。

深夜、早朝まで、みんな本当に頑張ったよね。

 

秋、クラスのみんなが就職先が決まる頃

私も同様この頃内定を頂いた。

夏に実習に入って、何度も履歴書を書きなおして、二回面接してパティシエとして内定がとれた製菓会社。

 

12月にはケーキ屋はクリスマスで忙しくなるため、その会社で助っ人アルバイト

 

2月になっても

その時のバイト代もらえなかった。

 

1月には連絡がくると言っていたのに連絡はなかったため、こちらからかけさせていただいた。

 

私のことをお世話してくださっていたマネージャーは

私のクリスマスバイトが終わった後に入院することになり、連絡がなかったらしい。

 

マネージャーの代わりに私からの電話に出た社員の方はこう言った。

「バイト代取りに来てないやん」

 

マネージャーが私から連絡が無いか聞いていたんだって。

 

私のバイト代について、マネージャーが社員の誰かに「私に連絡することになっている」と一言言ってくれていれば

 

マネージャーが私から連絡が無いか聞いていたのになぜこちらから電話するまで何もなかったのか

 

いろんなことが引っかかっていたまま

卒業実技認定試験、合格。

 

2月には、もう、きっと

壊れ始めていた。

気づいていなかったけれど…。

声を上げて、泣いていた。何もなくても気がついたら涙は流れていた。

 

厳しいと分かっていた

私が選んで進んできた

この世界に飛び込んで間違いじゃなかったって断言できる。

 

それなのに

心のわだかまりはとれなくて

寂しいような気持ちがずっとあってふと涙が溢れる。

 

笑い方を、知りたい。

 

 

一生続けられるもの。

今週のお題「部活」について。

中学高校の6年間、吹奏楽部でチューバ(金管のでっかいの)を担当していた私。

現在ではたまに市民楽団に顔を出してユーフォニアムを練習中。

ユーフォって割とマイナーだけど

アニメ「響け!ユーフォニアム」で知った人、多いのではないでしょうか?

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これです。

だいたいひな壇上からトランペット、トロンボーン、そしてその下の真ん中辺りにユーフォは配置されます。

 

まだ私が12歳の時。

初めて「部活」が始まって姉の影響で吹奏楽部へ。

特別やりたいって気持ちは全然なかった。

 

というか当時ほんとは家庭科部に入りたかった。

絶対に吹奏楽部の方がいいという姉と母からの説得に負けての入部。

それでも最終的には自分が入った場所なのだから

自分の居場所はそこで探す。

 

けれど、なぜか私は運が悪いというか

ツイてないというか…

 

中学では、私の学年で同じパート(楽器)の子が1人もいない。

そしてパートの先輩が部内でういている。(嫌われている…?)

初心者スタートなのに何も教えてもらえず…。

他のパートの子は、先輩か同学年の子と仲良くしてるのに

約60人の中の孤独さよ…

 

けれど、前にも書いたけれど

何にだって良いところはあるから。

じっくり向き合ってさえいれば見つけられるから。

高校入っても吹奏楽続けるって思えるくらいに、私はあの中でも頑張っていたんだと褒めてあげたい。

 

高校ではなぜか私のパートは男の子だらけ。

女の子が9割を占める吹奏楽部でなぜ男の子に囲まれてるのだ?

でも、結果それがとても良かった。

女の子だらけよりも、いっそ清々しい。

(その男の子達に恋心を抱く女子の嫉妬は集めてしまうけれど。)

「吹部の男子は女子みたいなもんだ。」というのを聞いたことがあるだろうか。

あれを言うのは同じパートに男の子がいなかった人が言うセリフだ。

いたら絶対に思う時がくる。

ああ、やっぱり男の子だなぁ。って。

大きい楽器だったから余計に、男の子の体格、筋力、肺活量…

どうしようもなく羨ましかった。

生まれつき持っているものの違いは悔しさ以外の何物でもない。

 

社会に出て、また音楽をしたくて楽器(ユーフォ)を買い

いくつか体験レッスンを受けてみた。

その中で、とあるユーフォの個人レッスンをしてくださった方が言った。

「音楽は、何歳になっても始められるし何歳からでも再スタートできる。

楽器は、ずーっと遠ざけていたものでも

またすぐに手繰り寄せることができるんだよ」

 

その先生は、技術のことだけを言っていたのではないと思う。

 

たぶん、いくつになっても楽器と触れ合う楽しさを忘れることはないと

また、音楽を好きになった人がみんなそうであってほしいと、

そういうことを言っていたんじゃないかな。

ブログを始めた日に。

2019年7月22日、「みゆきち闘病日記」が始まりました。

 

今までこの約2カ月間

退職後からの過去と現在進行形の日記を綴ってきたけど

ブログを始めた当日の日記を読み返すと

こんなことが書かれていました。

 

 

私の今までの22年間と少しの人生の間に

「合わない」人は何人いたのだろう。

人間関係を築く難しさはもう痛い程分かってる。

諦めなくちゃいけないことがあっても

仕方ないって思ってる。

でも、私が信頼してる友達が

好きだと言ってくれる私のことは

私も好きになっていいよね。

その友達は私に「死なないでよ」と言った。

前にも聞いたことあるけど

今の私には、その本音が重くて嬉しかった。

そう言ってくれて、ありがとう。

 

 

…だって。

自分が書いた日記なのに、少しくすぐったい気持ち。

 

 

今現在の手書きの日記帳は4冊目になる。

 

ふと、1冊目の日記を手に取ると

短大時代(つまり4年前)のころから日々の出来事、感情がぶつけられていた。

 

「書きたいときに書く」

これが私の日記を書き始めた時に決めたルール。

絶対に無理して内容を探して書いたりしないの。

 

だからこそ、本音が文字に、紙に、自然と手から漏れてくれる。

言い方悪かったかな?

溢れてくれる。が正しいかも。

 

退職前の日記も、これからまた

この「みゆきち闘病日記」に残していきたい。

 

これからもよろしくお願いします。

大丈夫って言わなくていいよ。

久しぶりに大きめの本屋さんに行ったら

私の大好きな作家さんの新刊を見つけた。

 

その作家さんの名前は、「益田ミリ」さん。

彼女の本は眺めるだけでもなぜかホッとしてしまう。

彼女の本は、彼女が選ぶ言葉は、人を傷つけない安心感があるからなのかもしれない。

 

同じ益田ミリさんの本は

異なる出版社の本でも中身が繋がっていたりしていて、いろんな本を読んでみたくなる

そんな魅力がある。

 

新刊のタイトルは「わたしを支えるもの」

詳しくは↓

https://www.gentosha.co.jp/book/b12617.html

 

私にとって、私を支えるものって、何なのだろう。

 

主人公のすーちゃんは

お父さんを亡くして、好きな人に連絡をしようとした時

今のあたしを支えてくれるのはあの人じゃない。

彼が支えるのはあたしではないし、

彼を支えるのも私ではない。

そういうことだ、と言った。

 

私は私が支えなきゃ、と思っていたのかもしれない。

架空の人物だし、分からないけれど。

 

お父さんが亡くなった後

すーちゃんは職場の上司の方に「あの、」と言いかけて

それを遮るように「いいの」と言われるのだった。

大丈夫って言わなくていいの。

あとでつらくなるから、言わなくていいのよ。と。

 

すーちゃんと一緒に、涙がこぼれた。

 

つらくなるから、大丈夫って言わなくていいのよ。

 

今まで

大丈夫大丈夫って言ってれば、思ってれば

大丈夫になるなんて、そんなの信じられなかった。

だってそうならなかった。

 

やっぱり、大丈夫じゃない時は

少し弱音を吐いたっていいじゃない。

 

大丈夫じゃなくたって、いいんだよ。

頑張ってる時があるから、ツラい時もあるの。

 

すーちゃんも、私も、大丈夫じゃない時は、思いきり泣こう。

 

予知夢か逆夢か。

喋れなくなる夢を見た。

 

みんな普通に会話しているのに

私はいつもの振戦している時のような感じで

言葉が口から出てこなかった。

いつもそれが悔しくてたまらないのに

 

でも、夢の中ではそれが悔しくなかった。

 

夢のなかの私は、筆談もままならなかったのに

さもそれが当たり前のようにしていた。

 

受け入れようとしていたというよりも

全てを破棄していたように思う。

どうにもならないと諦めていたみたいに

何も感じなかった。

体が、「普通」でないことに。

 

目が覚めても、朝ごはんが喉を通らなかった。

お腹が空いても

なぜか食べ始めると気持ち悪い。

ながら食べも効果なし。

残してごめんなさい。

 

でもなぜか体重は1.5kgくらい増えてる。

生理前なのかな?とも思うけど

普通それなら過食ぎみになるはず。

赤ちゃんができる準備の為に

体が水分や栄養を蓄えようとして

むくんだり便秘になったりするらしい。

 

けど、じゃあどうして食べ物を受け付けないのだろう。

 

あの夢といい、なんだか未来が余計不安になるよ。

 

 

気持ちは、どこに行くの?

2019年7月、父方のひいばあちゃんの七回忌

 

従姉妹が来るからということで(話し相手として?)

私も同行することになった。

 

七回忌の日の前日に

親戚やお坊さんに出すお茶菓子を祖母と選んでいる時

過去級を起こして無理矢理帰ることになったから

朝一で心配されてしまった。(当然だけど。)

 

昨日びっくりしたよ!大丈夫やったとね?

 

 

あんなの日常茶飯事ですよ?

何を驚いてんだ?

この人達は、私の何を知ってるの?

 

 

…なんてね。

 

 

リビングで

祖母、従姉妹、おばさんたちと片付けをしながら

(片付けを手伝うなど頭にかけらもない)男衆の話で盛り上がっていた時

 

その中で1人

私が震えていたことに気付いたのは、母だけ。

気遣おうとしていたのも、母だけ。

 

母はずっと

私をなんとかして帰らせようとしていたと思う。

 

たぶん、母親としても人としてもそれが正解。

 

でもね、お母さん。

 

私は体が震えないように逃げるんじゃなくて

こんな体でも普通に周りと接していたいの。

 

これから先、どうすれば生きていけるのか

どう生きていくのか

人と会うと考えてしまうから「そう」なってしまうの。

 

悔しくて、悔しくてたまらないの。

 

寂しいとか、苦しいとか、

私のそんな気持ちはどこに向かうのか。

 

それが、谷底じゃなければ、いいなぁ。

 

小学生の人権作文

2019年7月のある日

いつものようにリビングでぼーっとしながら

掃除やってって言われてたな〜なんて考えていた時

 

リビングの机の上に置いてあった

一冊の薄い冊子の裏表紙が目に留まった。

 

それは、地元で毎月発行されている広報誌で

裏表紙にはだいたい地元の小学生の中から代表に選ばれた子の作文が掲載されている。

その時のテーマは「人権作文」

 

タイトルは

「自分らしく生きる」

 

LGBTについて、「女らしく」「男らしく」は傷つける。「いけないこと」でも「へんなこと」でもない。

世界中の人が自分らしく生きられる為に

自分に何が出来るのだろう

と考えたそうだ。

 

それを書いた、まだ小学6年生の女の子の心は

とてもきれいなものだった。

 

「私らしく生きよう」と思うより

「誰もが自分らしく生きられる為に自分に出来ること」を考えられる。

 

すごく素敵な考え方だと思うよ。

 

この作文を読んだ人、読んで心をうたれた人

決めつけられるつらさを思い、少しだけ涙した私以外にも

これに救われた人がきっといる。

 

伝えてくれて、ありがとう。